ヒリダスの余分ログ

よぶんこそじぶん。などと思ってみたり、みなかったり。

珈琲は2人組が優勝

今から書く内容は別に

「パートナーがいるって幸せ(はーと)」とか

「パートナーがいない人は人生の8割損してる!」とか

そういう類の主張ではありませんよ。

 

一人でいることの利点はいろいろあるし、

パートナーといることの魅力もあるし、

人数の多い家族でいることの幸せもある。

そんなこたぁ誰かが決められることじゃあねぇんだ。

そんな当たり前の話をしたいんじゃねぇんだこちとら。

 

 

これ客観的に見てですよ。

「これだけは2人組という人数に分があるんじゃないか」

ということを最近見つけましたので発表させて頂きます。

 

 

それは

「ドリップパックの珈琲を淹れている時間のムダのなさ」です。

 

 

ドリップパックの珈琲って、

お湯沸かしてツーって注ぐ

→ポタポタポタ…(湯、落ちる)

→スーーッ…(湯かさ、減る)

→ツーーッ…(湯、注ぐ)

→ポタポタポタ…(湯、落ちる)

→スーーッ…(湯かさ、減る)

→ツーーッ…(湯、注ぐ)

のループを何セットか繰り返すでしょ。

 

ここで

(湯、落ちてる)+(湯かさ、減る)=ヒマ!

という方程式に出くわすわけです私たちは。

 

これが2人分つくれば、

Aのカップがヒマ!な時間に、

Bのカップに(湯、注ぐ)ができるわけなんですよ。

 

1人分だとヒマ!だし

3人とか、4人分だと、

注いでいるうちに

「本日のポタポタタイムは終了しました」というマグが発生する。

 

なにせドリップパックの口にお湯を注ぐという行為も

ある程度の技量が求められるからね。

私が雪平鍋でお湯注いでいるからかもしれんけど。

 

 

「じゃあ1人でも2人分同時につくったら?」

という問いが質問箱にきたら、

シンプルに「冷めます」と回答しておきます。

ちなみに質問箱はやっておりません。

 

よって、ドリップパックを注ぐ選手権は2人分が優勝

という図式が成り立つわけです。

 

そんなことよりも、

お湯の落ちる時間も珈琲の味わいと思えるような大人になった方が

有意義ではないかとここまで書いてきて思ってきたわけです。

 

それからドリップパックじゃなくてドリップバッグな、俺。

(途中で気づいた)