ヒリダスの余分ログ

よぶんこそじぶん。などと思ってみたり、みなかったり。

20170719 ソーサーぼくらは

本日の議題は、
「ソーサー」について。


常日頃、
私はソーサーのあり方に疑問を持っていた。
何故。
何故くぼんでいないのだ。と。


スプーン型のくぼみがあって、
角砂糖やミルクを混ぜた後、
スチャッとくぼみにはめ込めれば
スマートじゃないか。


今のままだと永久(とこしえ)に
珈琲をすすっては
ソーサーに戻すときにスプーンを踏んじゃって
カチャン、
またすすっては
カチャン
の繰り返しじゃないか。
そうやって年老いていく他ないじゃないか。


などとソーサーについて
一人で憂いておりましたら、
インターネットという名の文明にて
ある記述を発見致しました。


元々は、
カップのコーヒーを
ソーサーに注いで冷まして飲むものだったと。
レアリー?


じゃあ確かに変だわ。
そう言われたら、
くぼんでんの変だわ。


いや変じゃない。
今となっては
その飲み方の方がクセがあるじゃないか。
ふと誰かが何処かで
そのクセを発動しても大丈夫なように
くぼませずにいるなんて、そっちの方が
おかしいじゃないか。


私が珈琲カップの購入を検討する際、
なかなかカップとソーサーを
セットで購入するに至らないのは
そういったわけがありまして、
ソーサーがもっと実用性という魅力を増す
そんな日が来ることを願う、
ブラック珈琲好きなのであります。